かたすみで。

自閉症スペクトラム/ADHD当事者の徒然ブログ

ツイッターのオフ会からライブハウス。


ツイッターのオフ会から10日が過ぎた。
オフ会後の4日間はぐったりと寝込む。
更に夏バテも重なって、未だにほぼ寝たきりだ。

ツイッターのオフ会の後、
仲良くしてくれている遠方からわざわざ来てくれたKさんと、
それからもう一人Mさんとライブハウスへ行くことに。

しかし、ライブハウスに入って、
ミュージシャンの男性と目が合った瞬間、
もう無理だと思った。

ライブハウスに入り浸った思春期が思い返され、
ドラマーだった元夫のことまで思い出し、
一旦、椅子に座ったものの、
ライブが始まる前に抜け出してとぼとぼと歩き、
静かな飲食店があったのでそこに避難した。

その飲食店でも落ち着かず、
とうとう徒歩10分もかからない所にホテルを取り、
予約後すぐにホテルに向かって部屋に入ると、
ぐったり寝転がった。

子どもができてから、ライブハウスには1度も行かなかった。
約20年ぶりのライブハウス。
どうやらもうトラウマになっているようだ。

私が思春期に入浸ったライブハウスの治安は悪く、
男女関係は荒れ、ドラッグも蔓延っていた。
元夫も元彼女達に堕胎させ、マリファナを吸っていたのだ。

その他にも、ライブハウスで出会って付き合った人が、
交通事故で亡くなったり、
他も辛い思い出しか殆どない。

懲りずにKさんはライブに誘ってくれていて、
音楽が好きなのでその場に居られたらいいのにとは思うが、
克服することが出来るのだろうか。

そして、オフ会、翌日のツイッター。
思い切って、ADHDと自閉症スペクトラムを明記して、
空気も読めないコミュ症の私と付き合ってくれたお礼と、
困らせた時にはお叱り下さいという旨書いた。
つい先走ったツイートだったけれど、
お許し下さい、ではなく、
お叱り下さい、の方が私にはしっくりくるなぁと思う。
コミュニケーションを学ぶ伸び代がまだあると信じて。



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障害を公表するというのは。


「コミニュケーションの自信喪失。」

の記事に書きましたが、明日はいよいよツイッターのオフ会。

数日前から、最初の雑談に上手く入れないかもしれないから、
わざと遅刻していこうかなぁとか、
場の雰囲気を崩さないように用事に間に合わないからと言って、
早めに切り上げようかな、等と考えている。

そんなことをうだうだ思いながら考えていたのは、
本アカウントでもガーデニング・ブログでも障害のことは公表しているけれど、
何のために公表しているのだろうかという事だ。
私の場合、「発達障害なので、どうぞ、お許しくださいませ」
というニュアンスで使っているのではないかと思ったりしている。

しかし、発達障害だからといってブログやツイッターで、
ひとを傷つけるような言葉は吐いてはいけないのは分かっているが、
もし思い掛けず傷つけてしまったら、発達障害だから許そう、
と考えてくれる人はいるだろうか。

私は何のために定型と呼ばれる人達に障害を公表しているのか、
もうちょっと自分を考察したり、方法を変える必要があるのかな、
と思うのです。


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二股作戦は上手くいくかな...。


自分のガーデニング・ブログを離れて
こちらの障害ブログに入り浸るようになり、
つくづくこの二つのブログでの記事の書き方に違いを感じます。


先月、一昨日とガーデニング・ブログにコメントを頂いて、
先月は、あまりにも気持を持ち直せず、
お返事が余りにも遅くなってしまいましたが、
今回は翌日にお返事を書くことが出来て、
その違いが目に見えるようでした。


この障害ブログには暗い調子で徒然と書いてきましたが、
こちらのブログが暗い時用とはいえ、
時々は調子よく障害について語れないものかと悩んでいる所です。


向こうでは、ちゃんと「良い一日を!」などとご挨拶ができるのに...。
時々は、さすがに暗すぎて、向こうも更新がとだえたり、
自分でも無理してるなぁと感じたりはするけれど、
言葉が明るくなれば気持も明るくなるかも?と思ったりしています。


そこで、たまには、ガーデニング・ブログのように、
少しばかり明るい語りかけるようなですます調の記事と、
暗~い調子の独り言のような記事の二股に分けて載せようかと考えて、
今日はこの記事を投稿をしてみました。


ということで...二股作戦、上手くいくかなぁ...。


自然を愛する人に悪い人って見当たらないなぁと、
ガーデニング・ブログの方達の優しさや、
こんな風に考えさせてもらえた事に感謝を込めつつ。


最近おろそかになったガーデニングの替わりに、
こころばかりの笹の葉を用意しようかと思ったのですが、
もう明後日にやってくる七夕、皆さまの願いが届きますように。


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再びですが、どうぞ宜しくお願いいたします。


ブログ村のカテゴリーを変更して、
おかしなメールが届いたりしたので、
アカウントを削除したり、
記事を削除してみたり...。
せっかく拍手をして下さったのにすみません(泣)。
やり直してみますm(__)m

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ひとの痛みが分からないのではなく。



(Twitterに登録されていない方も、記事画像をクリックすると、お読み頂けます。)



この記事を読んで、自分と照らし合わせてみた。

自閉症スペクトラムだからと言って、
ひとのこころの痛みや悲しみなどが分からない訳ではないと思う。

この記事に登場するノエル君の場合は、
共感に関しての言い換えにつまづいていると思うのだが、
自分と共通した痛みである事を「分るよ」と伝えようとしている。

これを読んで、私はふと思い出した事があった。
それは、元夫によく、
「自分が感じているように他人もそう感じていると思うな」
と言われていた事だ。

これでなる程と思うのは、
私は自分とは違う他者の感覚を理解するのが難しいかもしれないという事だ。

私は、物事Aに関して、私が嬉しいと感じた時、
他の人も嬉しいと感じていると思ってしまう。
物事Bに関して、私がうっとうしく感じないから、
他の人もうっとうしく感じないだろうと思ってしまう。

これは姉と父がケンカ腰の話し合いをしている場に私が居合わせた時だけれど、
私が同じ場面になって、他の人がいたとしても邪魔だと感じないから、
別に居てもいいと思ったのだ。
しかし、父は邪魔だと感じていたようで、
「お前は行け。そういう所がKYっていうんだ」と私に言ったのだった。
それで、私はその場を理解してやっと離れたが、
これも自分はそう感じるからひともそうだろうと思ってしまった例だ。

入院している時に看護師さんにも、
「そういう所がKYなんだよ」と言われたが、これについては、
このように学んだ。
「KY場面は丸暗記。」(過去記事へのリンク)

ひとが痛みを感じている時に、自分も痛みを感じたから痛いのだと共感する。
自分がされて嫌だったから、他の人もそれをされると嫌だと感じる。
自分だったら嬉しいから、他の人もそうされたら嬉しいと思う。

これがともするとKYになるのは、自分の感じ方や考え方が他の人と違った場合だ。
決して自閉症スペクトラムだからといって、
ひとの痛みや悲しみが分からない訳ではない。

小さい子に躾のについて友人はこんな事を言った。
「一度やけどをしてみれば、二度と失敗しない」と。
これを私の場合に言い換えると、
「一度やけどをしてみれば、ひとのやけどの痛みや気持ちが分かる」
ということだ。
そうすると、一度やけどをしてみないと分からないことになるが、
これは、「KY場面は丸暗記。」のように、
きちんと、この様な場面では、この場合には、ほかの人は、
どう感じるからしてはいけないのか等を説明すれば分かると思う。

ただ大人になって、ひとと感覚が違う事に気付いた時、
相手はどう思っているだろうか、どう感じているだろうか、
とかなり気を揉むようになってしまったけれど...。

大人になってもこうだから、なおさら、
説明しても分かりにくい子ども時代は確かに苦しいかもしれない。
何かいい方法はないだろうか。
そして、そこにはきっとあるはずだと信じている。

だから、共感が出来ないといわれても、
ただそこに履き違いが起きるているだけで、
それをひとの痛みや悲しみにも全く共感出来ないとは思ってもらいたくないのだ。




チャビ母さんの過去ツイートに関連するような記事があったので、貼り付けておきます。







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虐待と呼ぶのだろうか。


小さい頃、大人が嫌いだった。
決して大人は誰も私をかくまうことをしなかった。
祖父母の家からでさえ、帰りたくなくても無理矢理、親から家に帰らされた。

私が小さい頃の家庭での思い出と言えば、
割れたガラスの扉やコップ。
父と母が喧嘩をして、ガラスのコップを投げていたのを思い出す。

他にも、母が父から逃げようとして車に乗ろうとすると、
父は私と姉に「捕まえろ!」と怒鳴って、
幼い私が母の元へ行くと「殺せ!」と言ったのも覚えている。

姉は強気で父に口で歯向かう人だったので、
父が姉に説教をする時になると、
私だけ二階に上がらされて、下で姉が頬を叩かれるのを
階段の上で泣いて聞いていたのも覚えている。
姉は度々父からぶたれていた。

つい数カ月前のことだ。
私と姉が幼い頃にいた従業員さんがやってきて、
私と叔父と3人で話している時に初めて聞いたのだが、
姉は母から家の外へ蹴り落とされたりしていたらしい。
そして幼い私が「やめて!」と止めに入っていたそうだ。
これは私の記憶に全くない。

それから、これも覚えていないエピソード。
ある日の父と母の喧嘩で、母が包丁を父に突き付けたらしく、
私は、それを見ていたそうだ。
そして、その翌日、私の体中に発疹ができていた。
私が保育園に行っていた頃のことだ。
その発疹で皮膚科に入院していた頃の事は覚えている。
体に白いクリームを塗った後に上に貼る油紙の匂いも。
結局、原因不明、病名不明の発疹だったが、
私が大人になった頃、父は心因性のものだと私に言った。

私は家庭のことを決して他人には口外しなかったが、
大人を見ると、連れて帰って欲しくてたまらなかった。
大人が帰ると、いつも悲しくて心細くなった。

姉は大人になって、親を恨むこともない様子だが、
私は今、正直、一昨年の7月が余命だと宣告された
末期癌の父に早く死んで欲しいと思っている。

父の生い立ちを想って、可哀相だと感じていた時期もあったが、
父が病院で癇癪を起して「お前は隔離だ!」と言い、
私を保護室に入れた時からは、
父を決して可哀相だと思うこともなくなったし、
墓場へ行っても決して父を許さないと思うようになった。
いつ死に際に掛けてくるかもしれない父からの電話も着信拒否にしている。

時にトラウマは恨みへと変化する。
そんな私は何と恨みがましい人間だろうかとしばしば嫌気がさすのだ。


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小学生の時からの消えない恨み。



私が小学生の頃、同級生にこんな事を言った先生がいる。

「洗濯してるのか」
「風呂に入ってるのか」

体育の時間だった。
周りの同級生は「臭い」と言って、その子を笑って見ていた。

その女の子はいつも同じ服を着ていた。
そして、その服はいつも薄汚れていた。
兄弟姉妹が多い家庭の子で、貧しい家だった。

その子が「ピアノを習いたいけれど、習わせて貰えない」
と言ったのを今でも覚えている。
ピアノを習っていた私は、休み時間にその子に教室でオルガンを教えた。

その子は、その先生の言葉をまだ覚えているだろうか。
そして、恨んでいるだろうか。

小学校の同窓会にその先生が来ることを知って、
決して行くまいと思った。

よくよく考えてみると、これは私の恨みであって、
その友達はもしかしたら先生を許しているかもしれないし、
先生も反省しているかもしれない。

それでも何故この私の恨みが消えないのかが分からない。
なぜ被害者でもない私が、まだこの先生を許す事が出来ないのだろうか。

私が小学生の頃、そして中学生の頃、先生達は敵だと思っていた。


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『脳の個性を才能にかえる-子供の発達障害との向き合い方』2


以下、ガーデニング・ブログより。





どう感想を述べていいのかが分かりませんが、
この本を読んでいてゾッとした部分。


[4章・学び方の違う人 ― ディクレシア]より


私は講演会で次のような中東の笑い話をする。

あるとき、学校の先生が遠くにある新しい赴任地に向かっていた。(略)

(先生は大きな川に出くわし、川の近くの住人が
安い渡し賃で向こう岸まで渡らせてくれると言います。)





先生は見るからに学者風で、旅行カバンをふたつ抱えていた。(略)
先生は船に乗ると、大きい方のカバンに手を伸ばし、
一番分厚くて重い本を取り出し、読み始めた。(略)





(舟頭は、口下手で、これまでひと言も口をきいていませんでした。
その後の先生と船頭の会話。)

先生:「おやじさん、向こう岸に着くのはいつごろだろうね。」
船頭:「わかんねえな。」
先生:「正しい言葉遣いを勉強しなかったのかい。」
船頭:「してねえよ。」
先生:「それなら、人生の半分を無駄にしてしまったな。」

(船が川の中ほどまで来たところで、突然、嵐が襲ってきます。)

船頭:「旦那、泳ぎはできるのかい。」
先生:「いいや、泳げない。」
船頭:「それなら、人生が全部無駄になるな。船が沈んでるよ。」
・・・






『脳の個性を才能にかえる-子供の発達障害との向き合い方』①


この二つの投稿は、私のガーデニングや花々を投稿しているブログからこちらに移しました。



          






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『脳の個性を才能にかえる-子供の発達障害との向き合い方』1


以下、ガーデニング・ブログより。





ブックオフのネットショップから買った本。
ほほぉ、と、手にとってみると、
あまりにもポジティブにとらえられていて、
当事者としては、そこまではとらえる事はできません・・・
と思ったりもしたけれど、
そうとらえてくれる人がいるのだと思えただけでも救われた本でした。

------------------------------------------------------------------


最初の1章「脳の多様性」より。


花が人間の暮らしをしている世界を思い浮かべてみよう。
ここでは、話の進行上、バラを精神科医とする。



診察室にい大きなヒマワリが入ってきた。
バラは診察器具を取り出し、ほんの三十分かそこらで診断を下す。

「巨大化症候群ですね。早期に発見すれば治療できますが、
残念ながら、こんな状態になってしまったら、
医者としてはほとんど手のほどこしようがありません。
でも、病気に耐えられるようになる何らかの方法はありますよ。」

(略)



次の患者は小柄なヤグルマギク。
バラの精神科医は二、三の検査と全身の診察をして、診断を告げた。

「お気の毒ですが、GD、つまり成長障害です。
この病気は遺伝子が関係しているようです。
でも、心配することはありません。
適切な治療をすれば、どこか水はけのいい砂地の畑で、
実り豊かな、幸せな暮らしができますから。」

(略)



最後に、カラーが診察室に入ってきた。
診断は五分とかからなかった。

「PDD、花弁欠損症です。完治はしませんけど、
特別に調合した薬を飲めば、進行を食い止められます。
実は今しがた、除草剤のセールスマンが
無料のサンプルを置いていったところです。
飲んでみませんか。」

(略)



ばかばかしい話と思えるが、今日、
私たちの社会が人間の脳の相違をどんなふうに扱っているのか、
それとなくほのめかしている。
脳の生まれつきの相違をすばらしいものと考えるのでなく、
往々にして、
「ジョニーは『自閉症』だ。スージーは『学習障害』。
ピーターは『ADHD』にかかっている」と言って、
薬を処方したり、病気扱いしたりする。

・・・

~もっと豊かな文化、対照的な価値観に富む文化を築こうとするなら、
人間がありとあらゆる潜在能力をすべて認識しなければならない。
そのようにして、独断的でない社会という織物を紡ぎだすのだ。
その中では、一人ひとりの才能がそれぞれふさわしい場所を見つける。~

<文化人類学者マーガレット・ミード『三つの未開社会における性と気質』>





『脳の個性を才能にかえる-子供の発達障害との向き合い方』②


この二つの投稿は、私のガーデニングや花々を投稿しているブログからこちらに移しました。



          





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「窓際のトットちゃん」と思い出。


昨夜、黒柳徹子さんの著書「窓際のトットちゃん」と「小さいときから 考えてきたこと」を買ってきた。
黒柳徹子さんは、ADHD、計算障害、読書障害などの発達障害であったと自身で告白していると、
ネットで読んだことがあり、私はテレビをほぼ観ないけれど、ドラマになった事は耳に入っていた。





その事を想って読んでみようと思い立ったのだが、さっき読み始めて、最初から涙がこぼれてくる。
途中で読むのを止めて、私のこの気持が鮮明な内に記事を書こうかと思い立った。
私は、中学・高校の頃の先生達の事を思い出したのだ。





中学生の時、私は毎年図書委員を務めた。
その頃、私は本が好きというよりも、本を読まなければという強迫観念の方が強かった。
父から「本を読め」と耳にタコが出来そうな程に言われていたし、
本好きの姉が家で寝転がって本を読む姿に憧れていた。

我が家の本棚には、母の好みの本、父の好みの本、姉の好みの本がそれぞれ並んでいて、
一番下の棚には私の好みの本が並んでいるのだが、
私が小さい頃の私の好みの本といえば、図鑑や切手収集のアルバムくらいであった。
それが、大きくなるにつれてコンプレックスになっていった。
私は、完全なテレビっ子になっていたのだ。

父が小学生の私に与えた本でよく覚えているのは「星の王子さま」と「銀河鉄道の夜」だ。
この本は、中学生になるまで私は読了する事が出来なかった。








私は中学生になり、もっと本を読まなければと感じて図書委員を続けた訳だが、
図書館に集う先生達は、私の事をよく褒めてくれた。
何故なら、私が所謂、文豪、名作、難書と呼ばれる本を次々に借りるからだ。
その本は、父や母が本棚に並べた本を真似しただけで、
半数以上は、その歳の私には難しく、読了出来ずに返却していたのだが...。

私は文系の先生達からよく可愛がられたと思う。
中学の時に担任や他の先生からどんなに嫌われていても、
新聞クラブの担当だった国語の先生は、「才能があるなー」と言ってくれたり、話し相手をしてくれた。

高校の時は特に教室の空気が苦しくなって、
気分が悪いと言い訳をして授業中に突然教室を出ていき、図書館に逃げ込んでも、
図書館の先生達は授業時間であるにも関わらず、私を無理に教室に戻さずに受け入れてくれた。

そんな私が大人になり、5年程前だったか、何だか気になって高校1,2年の時の担任の先生の元を訪れた。
その先生は老健施設で一緒に2回クリスマスを迎えた後に亡くなったが、亡くなる前にこんな話を私にした。

リンク:「恩師の言葉」




先生が学校でお薦めの本を私達にアンケートを取り、私は「ソフィーの世界」を書いていたらしい。
その頃、先生のお子さんが人生に迷っており、私がアンケートに書いたこの本を渡したそうだ。
そして、この本がそのお子さんの人生を変えることになったと仰ったのだ。
先生のお子さんは、教師と医師になっている。
私は薦めただけであるけれど、その本が人生を変えることになるとはその頃思ってもいなかったし、
先生が大袈裟だったとしても、とても嬉しく感じている。



そんな事が蘇りつつ、「窓際のトットちゃん」を読んでいて、涙がこぼれてきたのだった。
さあ、「窓際のトットちゃん」の続きにいこう。



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週3日勤務可のA作業所探し。


昨日は、家から15分程のA型作業所を見学に行ってきた。

相談事業所の相談員さんとその作業所の室内に入ってみると、
10名程の利用者さんが黙々と作業をしていらっしゃったのだが、
2時間置きに10分間の休憩と聞き、
4月に離職したA型作業所は1時間置きに10分間の休憩があった為、
この内容の仕事で2時間作業し通しの週5日間持続では、
私の場合は集中力も足りず、身が持たないかもしれないと感じる。

その後、一緒に見学へ行った支援相談員さんに、
「B型しかないね」と冷たく言われ、かちんときてしまった。

なぜB型しかないと言われたかというと、
以前のA型作業所が、週6日勤務なのにも関わらず、
体調が悪かったり、仕事の前日に頓服や追加眠剤を飲んでも全く眠れなかったり、
用事があったりもで、週3日程しか出勤出来なかったからだ。

これは1週間前の事だ。
他のA型作業所でも週5日就労を持続出来る事が条件となると相談支援員さんに言われたので、
ハローワークへ行き週3日程しか体力的にも持たない事を伝えると、
A型作業所ではなく、B型か障害者雇用でのパートを勧められた。

それで、そもそもA型自体がパートのように週3日でもいいから受け入れるべきではないかと感じ、
その様な事をツイートすると、
大阪にある株式会社 江坂-起業家支援センター (リンク)の代表取締役の方からこんなお返事を頂いた。








そこで、メールで連絡を取らせて頂いたら、
私の居住県でのお知り合いのA作業所を教えて下さったのだ。

早速、週明けにハローワークへ行き、教えて下さったA型作業所の求人票を頂いて、
相談支援員さんに連絡した。

相談支援員さんがそのA型に電話をしてもう一度私に電話を掛け直します、
との事で、待っていると、相談支援員さんから電話が掛ってきた。

出てみると、相談支援員さんの電話の前に大阪の方から連絡があったとそのA型の方が仰ったらしい。
まさかと思い、あの大阪の方に連絡すると、やはりそのA型に電話をして下さっていたのだ。

有難いやら申し訳ないやらで、もう感動してしまった。
なんと熱心で親切な方だろうか...。

それで、続きを支援員さんに聞くと、以前に一人私の居住地区から通勤していらした方は、
ラッシュ時で2時間程通勤に掛かり、
ガソリン代も馬鹿にならないという事で離職されたので、
私の居住地からでは無理でしょうと仰ったそうだ。

という事で昨日、もう諦めて、週5日勤務のA型作業所見学に行ったのだった。

そして今日、私はやはり諦めまいと自分の身を立て直し、
県の精神保健福祉センターに電話をして、
私の居住地区の隣にある市で、出来るだけ近いA型作業所を紹介して頂いた。

その後早速、教えて頂いたA型作業所5件全てに駄目元で問い合わせをしてみると、
内1件が週5日就労を目標にして最初の方は週3日ペースで勤務し、
話し合いをしながら週5日に伸ばしていく事が可能との事だ。

他にも隣の市の相談支援事業所に問い合わせてみると、
週3日就労が可能な所を2件教えて下さったではないか。

その2件はまた遠く、先の1件は通勤に1時間程掛かるが、
それでも週3日で通えるのであれば是非行きたいと思って、
先の1件に近々、見学のお願いをする予定だ。

私の相談事業所ではそのような情報は無かった。
私の居住地区の支援事業所が人員不足なのか何なのか...。

やはり、自分の足で動くことが重要であると実感したのだった。


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母校(続:「自閉っ子が通いやすい学校」)


自閉っ子が通いやすい学校に続きます。】

さっき母校のホームページを覗いてきた。

今は共学になっているものの、やはり、教育方針として掲げられているのは、

・個性
・感謝、奉仕の精神
・国際性

などを養うことと書いてあった。

創設者はプロテスタントの外国人女性宣教師で、
私の時代はまだ女子校で、院長も外国人の先生だった。

そんな女子校Bで私は12歳から18歳までの6年間
(間にイギリスの女子校で1年間)を過ごしたのだけれど、
今、PSWの彼女が「自閉が通いやすい学校だったよね」
と言った理由を探っている。

何だろう。姉も母校が同じなので、見つけにくい。

ただ、娘や叔父が通った中高一貫Sは、勉強尽くめの学校なので、
それと比較すると、学力はそれほど求められないと思う。

学力の点でこの二つの学校が違う点は、
まず、偏差値の隔たりは10程Sの方が高い。
それと、Bは、入った後は学力が底なし沼(笑)
Sは、底につくと学校から切り捨てられる(転校という形で)。

この点で、単位については足りないとは言われても、
成績が悪いからあーだこーだ学校から言われた事もなければ、
言われた子も聞いたことがない。
あ、いた。でも、言われても選抜クラスから抜けるくらいだ。

それから、娘の中学選びで母校を訪問して、
お世話になった先生に話を聞いたら、
「勉強以外で頑張りたい事がある子には向いているけれど、
勉強をしたい子には向いていないわよ」
と言われた。

確かに、そう考えると、トップ校に入れる子でさえ、
習い事を優先させるためBに入ってきている同級生が結構見受けられたものだった。
その習い事(バレエ、音楽など)を仕事にしている卒業生も多い。

なるほど、つまり、一度入って単位さえ取っていれば、好きなことをしていいのだ。

その点では、確かに私は学校との出会いに恵まれたのかも。
徹夜でファミコンをして、遅刻して学校へ行き、
眠ければ机に顔を伏せてよだれを垂らして眠り、
分厚い聖書で先生に頭を弾かれれば平然と起き上がり、
教室の空気が苦しくなったりして、途中で帰りたくなれば、
階段を上り下りして脈を上げ、ホッカイロを脇に一度当てて、
保健室に入り、体温、脈を測ってもらって無事早退。
というようなルーティーンだった気もする。

まれに厳しい先生はいるけれど、許容範囲が広い先生が多かったなぁ
などと色々思いめぐらせてみると、母校には自由な空気はいっぱいあったんだ、
と今、書きながらしみじみ感じている。
こんな学校だったから私は卒業出来たのだと、学校と先生に感謝しなきゃなぁ。

だから、PSWの彼女の言った「自閉でも通いやすい学校だよね」
という言葉の訳は簡単だったかもしれない。
自由度が高い学校だからだ、きっと。(単純過ぎるかな...)

そういえば、これより自由な学校を知っている。
従妹の母校だ。
ここについては多く触れまい。
いや、触れても差し支えはないかな。
いや、やめておこう(はっきりしない)。

自由度の高い学校でも勿論、いじめが全くない訳ではないけれど、
変わり者というので目を付けられるというのは滅多にない気がする。
成績で学校からどうこう言われることも滅多にないのではないだろうか。
絵が好きな従妹もあの自由度の高い学校だったから、過ごせたのかもしれない。

丸い子も四角い子も三角な子もどんな子でも、
自由な空気で一緒に育つ事ができるんじゃないかな。

そうなればいいな、という所で、長くなったので締めようかと思います。

明日は、A型作業所の見学で、緊張なのか、眠れそうにありません。
只今、午前4時ごろ。
追加眠剤も飲んだのに、なんだか眠れなくてまだ書きたい...。

あ、真面目になれない、努力も出来ない私についてでも書こうか ...zzz

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「自閉っ子が通いやすい学校」


昨夜、私がセカンド・オピニオンを受けている医師が所属していたU病院で
PSWをしていた同級生に久しぶり(2,3年振り?)にメッセージをした。

彼女はその病院と同系列のFクリニックで今は働いていて、
昨日、そのクリニックから電話があり、彼女に連絡をしたのだった。

彼女がそのクリニックに異動したのを知ったのは、
セカンド・オピニオンの医師との会話からであった。

そのFクリニックでも私はセカンド・オピニオンの予約日を取っていたらしく、
全く覚えていなくて、お詫びしてキャンセルをしたので、
彼女にも「ごめん」と一言伝えたかったのだ。

彼女には、以前から障害については伝えていたので、
隠すことではないかもしれないけれど、
それでも同じ病院に行くのは症状を晒すようで恥ずかしく、
同病院にするのを避けて通っていたのだが、
まさかFクリニックに勤務しているとは知りもしなかった。

彼女にメッセージでお詫びをした後、病院や障害、転院についても話して、
自ら「私、学生の頃もやっぱり怪しかったよね」と言うと、
彼女は、「うん」とは言わず、
「自閉でも通いやすい学校だったよね」「楽しかったね」と返したので、
私も「うん。自由だったよね」と答えた。

実は私は楽しくなかった。

小学校の時は自分は除け者にされてイジめられていたと感じていた。
が、どうやら周りは全くそう思っていないようだけれど。

中学、高校は女子校の中高一貫だったが、
私から近づくことなく、周りが私に近づいてきてくれていたものの、
どのグループにも属せず浮いた状態だった。

6年程前に障害で躁になるまで「たのしい」と感じたことはない。

その彼女がいたU病院に最近、学校ができたらしい。
彼女は、その学校などとも比べたのだろうか。
自閉でも通いやすい学校と言ったのは。

確かに自由な学校だった。
楽しいと思える学校生活を送りたかったと今でも思う。
後悔しようがないことだけれど。

(どんな学校として彼女が自閉でも通いやすいと言ったのか、
教育者ではないけれど、後に、私の学校についても書くかもしれません)


母校(続:「自閉っ子が通いやすい学校」)


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「みんなちがって、みんないい」過ぎて...。


さっきツイッターの海の中、もう一つのアカウントで
フォローしている方をこちらからフォローしてきた。

そこで、みんな違いすぎるから、
私は人と交わらないのではないかとふと思う。

自分の考え方や価値観と違い過ぎる。

良い意味でそうだと、憧れの的になるかもしれないし、
悪い意味でそうだと、回避の対象になる。

「みんなちがってみんないい」は過大解釈してしまうと、
いじめっ子でもそれでいい、とも取り違えてしまう。

人は悪い部分を変えなければならない事がある。
それは個性を変えるという意味ではなく、
危害を加えないように変えるという意味で。

ここで言い換えると、
人は悪い部分を他者から矯正されてではなく、
自分から変わろうとしなければならない。

などなど、考えつつ、違うという意味で、
「おかしい」のと「変ってる」のとでは、
また全然違うと改めて感じたのでした。

「みんなちがって、みんないい」

けれど・・・

という続きが欲しい
と、色々な人、意見が飛び交うツイッターにて思う今です。

そう思うと、「世界に一つだけの花」の方がしっくりくるかも。



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頑固な「ひとはひと、私は私」


私は、性格や人格についてカテゴリー化して、
断定的な論評されるのを異常に嫌う傾向があるようです。
例えば、日本人はこんな事をしてこうだ、とか、
A型はこういう行動をしてこうだ、とか。

何でなのかは自分でもよく分かりません。
以前から、勝手にクループに分けられて、
そのグループがどのようなグループで、どんなことをするか、
という断定的な考えに疑問を持っていたからでしょうか。

ただ、傾向を窺い知ることは好きです。
これは文脈から読み取る場合が多いように思います。

こういう人達は、こんな傾向があって、こういう人が多い。
という場合だと、そうでない人もいるというのが、
文脈から窺えるのではないかと思います。

この人はアレで、こういう傾向があるから、
こういう場合があるのかもしれない、
というような文脈は受け入れるられるのだから、
何でしょう、文脈に拘りがあるのかな。

また、私は、自分を含むような断定的論評にひっかかる傾向もあるようです。
私は違う!と逆上しているようにも思えるかも。
アレ(カテゴリ・グループ・組織・一括りの名詞など)だから、こういう人。
というような文脈だと、勝手に一緒にしないでくれ、
決めつけないでくれ精神が働くようです。

そういう所ではとても頑固だと思います。
このような頑固さってほんとに変えようがないのかもしれません。
家族など親しい人はこの頑固さに困っているようで、申し訳がないかも。
ちょっとは私よ変われ、と思う時もありますが。

たとえ同じ括りの中にいたとしても、
私の場合、あの人の場合、あなたの場合、
という、個々個人として私は受けとめたいと思っていますし、
そうあって欲しいという願いもあります。

私の場合、あの人の場合、あなたの場合、
で良いのではないかなぁ。

私は私でしかないと思うのです。


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怒りの表出。


入院の話が主治医からあった日の翌診察日、
主治医がなぜか私を入院させる事をためらい始め、
その後もそれが続く。

主治医から、入院中に突拍子もない発言をするし、
粗探しをするし、と言われた。
その後も主治医は何か言って、
「失礼だけど」と加えたけれど聞いていなかった。
後日から、どうも転院を勧めてくるように感じる。

確かに、私は病院からすると、鬼のようなクレーマーだ。
まず、私が肥満だった頃、
栄養士に精神科とは思えない程の発言を受け、
腹を立てた私は拒食症になり、
これを国立病院の本部にクレームをした。
すると、病棟主治医と看護師長さんが、
頭を下げてお詫びをしたのだった。
なぜ、栄養士本人がお詫びをしないのか解せないが。

私は怒りを表出するのが苦手で、
それをクレームとして文章にして国立病院本部へ送る。
まあ、簡単に言うと「ちくり」と同じかもしれない。

次に腹を立てた相手は、ソーシャルワーカーだった。
栄養士の件で病院に直接言って欲しいと言われたので、
看護師長さんにソーシャルワーカーの対応の酷さを訴えると、
病棟内の患者さん達にアンケートを取って下さった。
その時も耐えられず、国立病院本部にメールで訴え、それに加え、
そのソーシャルワーカーのフェイスブックを見つけたのだが、
全公開で、出張でどこどこへ行ってこれを食べたとか、
上司から呼び出しを受けてどうこうだったとかを書いてあるので、
それもまた病院に報告した。
その翌年度、彼は、遠くの病院へ異動したようだ。

次はまだ未解決の問題だ。
私が拒食症になり、救急車で病院に運ばれた後に、
私を隔離室に入れた医師の件についてだ。
まだ延び延びになっているが、
国連の人権理事会への
「人権侵害に関する不服申立手続」を計画をしている。
http://www.unic.or.jp/activities/humanrights/complaint_procedure/
ただ、英語での提出という壁が立ちはだかって、
なかなか先に進まない。

このように、私は怒りの表出を直接出来ない為か、
手続きのような形で怒りを訴えるようだ。
まず、精神科で怒りの表出をすると、
保護室に入れられるという地雷を自ら踏むようなものでもあるし。

私は公立・国立病院から離れるつもりはない。
他はクレームをする先がないからだ。

私の怒りの表出は、
自分の為だけでなく他の患者さんに及ぶ問題でもある、
という使命感のようなものがある。

それぞれの不服についての詳細は、
いつかまた記載しようと思います。

また、この件についても読んで頂ければと思います。
このキャンペーンにご賛同頂けましたら、一票をお願い致します。
「息子の死を無駄にしないために日本の精神科医療の身体拘束を見直してください。」
Change.org


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私と宗教について。


こんなタイトルを書いておきながら、やはり、
宗教の話はあまりしないでおこうと思います。

ただ事実だけを書きます。

保育園(仏教)

小学校(無宗教+プロテスタントの教会学校)

中・高・大(プロテスタント)

洗礼で踏み止まる

その後、論理的ユニテリアン(wikipedia)

今、路頭に迷う


高校時代、倫理の先生の話でこんな事を聞きました。

キリスト教は「自分がして欲しい事を人にしなさい」
という教えで、悪い所を言えばお節介。
仏教は「自分がして欲しくない事を人にしてはならない」
という教えで、悪い所を言えば無関心。

私はそれを聞いて、両方を念頭に置いて生きなければ、
と思ったものでした。





これは、好きだった讃美歌のひとつ。
ときどき頭に鳴り響いては、また教会に行こうか、
などと思ったりします。


讃美歌第2編 189番(全歌詞へのリンク)

丘の上の教会へ のぼる石だたみ、
春は桜のはなびら、 
手のひらにうけてのぼる
ほら ディン ドン、 ディン ドン
さやかにやさしく
ベルは鳴りわたる。
ああ なつかしい教会へ
きょうこそみんなで帰ろう


夏はみどりさわやか 陰も涼しくて、
高く口笛吹いては
肩組み合わせてのぼる。
・・・

丘の上を望めば 空に羊ぐも、
秋の陽をあびてひかる、
煉瓦の塔の十字架
・・・

雪の降る夜みんなで 歌声あわせた、
小さいときの思い出が、
いまこころに鳴りひびく。
・・・







そして、この讃美歌を聴くと、子どもの頃は、
神さまだけが心のより所だったのかな、
と思わされます。



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疲れがピークに達して。


一昨日、昨日と余りにもきつくて、
破滅的、破壊的な考えに向かっていた。

主治医は入院に逃げるなと言うし、
私はもうこの生活を壊したいと思って、
危ない方向に考えが向くばかり。

その考え方が危険な事だと自分でも気付き、
リスパダールを服用して横になってみると、
短時間だけれど眠っていたようだ。

主治医はあなたの信じるところでは、
それはやってはいけないことでしょう、
と言うが、あんな状態になると、
何を信じていたかなんて関係が無くなる。
何も信じられなくなったから、
あの状態まで陥るのだから。

耐えに耐えたのに、
これ以上耐えろと言われたら、
誰だって壊れるのではないだろうか。

腕立て伏せを100回させられて、
もともと腕立て伏せをする体力さえないのに、
もっと耐えろ、もっと耐えろ、と言われたら、
何回まですれば耐えたことになるのか、
ここで逃げたら忍耐力がないと罵られるだろう、
と腕立て伏せをしながらあれこれ考えると思う。
そして、体も心も壊れる...。

心身を鍛えさせる方法は、
ただひたすら耐えろと言う事だけだろうか。


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自閉症スペクトラムを予言した友。


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Ordinary Stories in an Extraordinary World (リンク)
by Aqilah Teo

アキラは初めて私に自閉症の要素がある事を指摘した人だった。
会ったことはなく、
SNS上で会話を交わしただけだったが、
私の投稿を読んだりして何か感じたのだろうか。
もう6年以上前になるかもしれない。
「今度、私の本が出るの」と私に伝えた後、
彼女はSNSから消えてしまった。

自閉症の兄弟がいる彼女は鋭かった。
元気でいるだろうか。
当たってたよって報告をしたら、
アキラはどんな反応をするかな。





ファンレターを書いてみようか。


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素人には皆目分からない。


昨日のセカンドオピニオンで、
二次障害としての躁鬱があると説明を受けた。
現在の掛かり付け精神科では、
躁鬱と統合失調症が混じった統合失調感情障害と診断されている。

ただ2次障害が躁鬱と診断されて不思議なのは、
入院中に、躁鬱の人でも妄想が現れることを知ったけれど、
躁鬱に私みたいな酷い妄想が頻繁に現れるかだ。

今、セカンドオピニオンでの結果を考慮しつつ、
転院するかどうかを迷っている。

現在の主治医は、コンサータを処方する資格を持っていないが、
セカンドオピニオンを受けているクリニックの医師は、
コンサータを処方する資格も持っているし、
また、県内で唯一、児童思春期精神科を併設しており、
発達障害診療でも先駆的な病院で長く経験を積んでいるので、
発達障害に重点を置いた治療を試したいという気持ちが私にはある。
私の発達障害を指摘した病棟主治医も、
長くはなかったが、この病院に一時期勤務していた医師だった。

ただ転院するという事に関して心配なのは、
クリニックなので、夜間の電話再診が受けられず、
訪問看護やデイケアも無ければ入院施設もないという所だ。

13年近く診てくれている主治医なので、
もうちょっと発達障害について教えてよーっと思うが、
掛り付け病院のこれからの課題にはなっているようなので、
これからの発達障害の研究に期待しようかとも考える。

ネットでは、根本的な発達障害に手を打って、
二次障害を診るというような記事も読んだ。
それを信じるとしたら、
転院して発達障害にまず手を打った方が良いのかもしれない。

などなど。
考えても考えても結論が出ません。
素人判断ってほんと難しいし、怖い。



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