かたすみで。

発達障害や統合失調感情障害などの徒然ブログ

だらだら日記。

短い間にだーっと記事を書いた。
書き始めると止まらなくなる。
だーっと書いて休憩に入る。
いつもそんな感じだ。
吐き出しては安心する。

今日は診察に行ってきた。
もう会えないかもしれないと思っていた
病棟の男友達Tとも会った。
まさかの再会。
嬉しかった。

夜、病棟に電話してプライマリ看護師さんと話した。
「声が聞きたかったのー」なんて言って。
色々と報告した。
安心した。

でも色々まだ書きたい。
最近ちゃんと早い時間に就薬を飲むようになって、
夜中に書きたくなってキーボードを打ちながら
眠気がやってきて力を失くして途中で止めて寝に入る。
そして翌日には書きたかった事を忘れてしまっている。

書きたいときにだーっと書く方が私にとってはいいのかな。
吐き出したい事がまだまだ多すぎて、
こうやってだらだら書きながらまた寝に入りそうだ。
明日は仕事が休みだから深夜まで書きたかったなぁ。

拍手を下さる方々、ありがとうございます。
どなたなのかは分からないけれど、
まるで理解者のように感じて嬉しいです。

また書きます。
皆様にとって良い秋となりますように。
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死にたい気持ちが分からない子も。

ハートネットTVの『#8月31日の夜に』を観ていてふと思った。
娘って死にたい子の気持ちが分からないんだなって。
それを悲しむのもおかしいとは思う。
今まで『死にたい』と思わないでいてくれたという事だから。

娘と先日喧嘩して取っ組み合いになり、腕に大きなあざができた。
そしてその後にLINEが来た。
「死ぬ」って。
家を見に行ったら娘がベランダをうろうろしていた。
それで私は死ぬ訳がないと静観して話をすると、
「ママの真似をしただけ!死ぬ訳ないでしょ。馬鹿じゃないの。」
と娘が言った。

そう、以前に娘が言ってたな・・・。
「Mは学校にも来てないし、リスカとかしてるし。
ただかまって欲しいだけ。
死ぬふりして気を引いてるだけでしょ。」
って。

自分がそう思った事がないと分からないものかな。
娘は強がって自分の弱い部分を補っているのだろうか。
私には彼女の気持ちが分からないのだから、
彼女も私の気持ちは分かり辛いだろうな。

Mちゃんの気持ちを代弁したくなるし、
「Mちゃんに歩み寄ってあげて」
って伝えたいけれど伝え方が分からない。

この喧嘩も、娘が「ごめんなさい」と言って私が泣き、
数時間後には私達二人はケロッとなって、
一緒に美味しい物を食べるパターンで終わった。

どうしたら『両方の気持ち』って分かるんだろう。

人の悪口を言わない約束。

私は学生の頃から友達に「Sumi絶対ひとの悪口言わないよね。」と言われていた。
人の悪口を言わなくなった理由が私の中でそれなりにあったのだけど、
今は理由を忘れてマイルールとして定着してしまっている。
私が尊敬する人達もそうしている方が多いように思うから、
ルール違反はやめようと思ったりもする。

でもある日疑った。
人の悪口を言わないからストレスが溜まるのでは?と。

なんだろう。
昔の私に聞きたい。
なぜそうするようになったのか。

自分が悪口を言われたくないからだろうか。
人を傷つけたくないからだろうか。

これを打ちながらだんだん浮かんできたような、浮かんでこないような・・・。
私が悪口を言われて傷つくって事は、人も同じ様に傷つくんじゃないか。
そういう事だろうか。

それから、人の悪口を鵜呑みにしないというのも昔からのマイルール。
その人がどんなにケチョンケチョンに言われていても、
本当に実際に接してみないと分からない。
噂なんてどこ吹く風。
嫌われている、いじめられている、そんな子達とも昔は接していた。
噂だけで人を決めつけちゃいけない。
そんな考えだった。

今、社会に出てみてどうだろう。
私の方が嫌われる側、いじめられる側になっているとも考えられるかな。
歩み寄る方から、歩み寄られる側になっている。

なぜこんな事をいきなり・・・というのはつい悪口を言いたくなったからだと思います。
作業所の利用者さんには我慢が利くのに、スタッフさんには何故か・・・。
甘えかな。
福祉に携わる人達は人道的っていうのはただ私が求めているだけだ。

で、ここで悪口を書くか悩んだけれど、
誰にでも彼にでも悪口って言っちゃいけないな・・・と今思いました。
悪口を言うためのルールが欲しい。

でもやっぱり書いちゃえ。
スタッフさんと利用者さんとの会話で、
「イギリスって食べ物おいしくないよねー。」
「行きたくないねー。」
って事をスタッフさんが言うんです。

『あ、こういうのが部落差別とかになるんだろうか。』
とふと思いました。
イギリスって私の心の第二故郷みたいなもので、
私は黙ってその目の前の会話を聞いていましたが、
スタッフさんは履歴書で私がイギリスに留学していたのを知っていた筈。
そんな事を言われるイギリス人の気持ちになれました。
以前は私もネタにしてしまってたけど、反省。

反省してもらえるような悪口だったらいいよね・・・。
なんて事を思ってみましたが、
『悪口を言うためのルール』がやっぱり要るな。

別れてからが大切。

今日は作業所で1名のスタッフと1名の利用者さんが職場を離れた。
とても感受性が豊かで優しいOちゃんはひとり号泣。
職場を離れたS君とは病院が一緒なので、
帰り際に「外来でね!」と言ってハイタッチをした。

心理士Nさんとの別れで感じたのは、
『大切なのは別れてからだ』という事。
別れは勿論痛く辛い。
でも、そこには得るものが沢山ある。

勿論、後悔もある。
『あの時にこう伝えていれば良かった』
というのが私の場合は多い。

でも、
『こう教えてくれたから、これをやってみよう』
『あの時にこう言われたから、今度は気を付けてみよう』と、
別れた人から学んだ事を思い出して姿勢を正してみる。

別れを振り返るのはつらい事だけど、
振り返る事で伝えてくれた事の大切さを感じることが出来る。

別れてからしか分からない事だってあった。
『あの人が私にとってどんなに大切な存在だったのか』
『あの人の事をどんなに私は好きだったのか』
そして『どれだけ愛されていたのか』。

『別れは辛い事ばかりじゃない』
そう学んでからは、結構別れに強くなれた。

私から別れを告げる時だっていつか来るんだ。


心理士Nさんへの返事のない手紙。1


Nさんと再会したB病院を退院して、元の病院に戻った。
あれから1年以上が過ぎた今もNさんの事を忘れていない。
その後も何度か元の病院に入院している。

Nさんと再会する前の入院の事だった。
ある日病棟のパパが言った。
「LINEに『N●●●』っていう名前があったからLINE送ってみようか。」と。
「え?知ってるの?知ってるの?」と私。
なんだかまだ繋がっているようで興奮してしまった。

『そういえばNさん言ってたな・・・。』とふと会話が蘇った。
「私が病院を辞めても、Sumiさんどうしてるかなぁーって覗いてみるよ。」とNさんが言うと、
「どうやって?」と私は聞き、Nさんは「うーん」と困った顔。
たったこんなに短いやり取りが更に私を落胆させた。
『またどうせ出来もしない適当な事を。』と。

でもパパのLINEの件を聞いて「こんな繋がりがあったんだ!」と嬉しかった。
私がNさんとの別れの直後に倒れて入院した時に一番に相談に乗ってくれたパパだったが、
あの時にパパは「Nさんとは2回しか話したことないけど。」と言ったと思う。
そんな事はもう嘘でも本当でももうどうでも良い。
「何で知ってるの?」と聞いたら、
「C病棟で一緒だったから緊急用でC病棟の人達は連絡先を交換してるんだよね。」と言った。
そんな事もお別れ直後の入院では聞かなかった。
そういえば病棟の看護師K兄もC病棟だった。
K兄には、「私、Nさんに会いに行くー!」と言うと、「重ーっ!」と言われたな。

それで、パパが言うには「LINEで返事は来なかった」そうだ。
それを再会した時にNさんに伝えたら「私、LINEしてないのよ。」と言った。
でもこれもまた嘘でも本当でももうどうでも良い。
所詮、精神科なんて嘘つきの集まりだから。(←言い過ぎ?)

Nさんと再会して戻った後にはパパが「SNS送ってみようか。」と言ってくれた。
SNSなら確実に届くなーっと思って、心からこれも喜んだ。
でもパパはまた言った「返事が全然来ないよ。」って。
もう、パパの言う事は本当か嘘か泥まみれだ。

私が何をパパに「SNSで送って」と頼んだかと言えば、
『おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。』
という『魔女の宅急便』のキャッチコピー。

届けNさんに。


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(本当は『げんきだったりもしたけれど、私はおちこんでいます。』なんて。)

つづく

心理士Nさんとの再会。4


退院の日が刻々と近づいて来る。
後半、私は今までの悪い出来事を全てと言って良い程に書き綴ってNさんに渡した。

後日NさんはS.Nちゃんといるホールのテーブルにやって来た。
「Sumiさん・・・。」心配したような表情でNさんは私に呼び掛けた。
私はあまりにも酷い内容の出来事を書き綴った後の事だったので、
Nさんと目を合わせるのも気まずくて、わざとS.Nちゃんに話しかけた。
Nさんは「もう。」と言って、何かを話したかったのに話せなかったというような空気で、
困ったようながっかりしたような表情に感じた。
そして、Nさんはその場から離れたのだった。

病室前の廊下でNさんと話したのを今思い出した。
しゃがみこむ私にNさんは少し怒ったように「立ちませんか。」と言った。
あの時は何を話していたのだろう。
「疲れた。」と私は言って、渋々立ち上がった。
午後5時を過ぎたので「Nさん、公務員だから帰って。」と言うと、
「私は、人間です。」と硬い表情で言った。
私は喧嘩でもしたのだろうか。

それから私が「S.Nちゃんが前のベッドでずーっと歌ってるから、『うるさいんですけど』って言ったんだけどね、
まだ歌い続けるんだよー。」と言うと、Nさんは「言ったのー!」と嬉しそうな表情をした。
これは元の病院でNさんと気持ちを相手に伝える練習をして結局出来なかった事だったから
ちょっとストレート過ぎても喜んでくれたのかもしれない。

色々とありながらもNさんとのB病院での別れの前日、Nさんはまた私のベッドまでやって来てくれた。
「私、Nさんの事を忘れちゃうんじゃないかって心配。私、すぐ忘れるから。」と言った。
「次の心理士さんとカウンセリングを始めたら、次の人に『ワンッ』って犬みたいに付いて行って、
すっかりNさんの事を忘れちゃうんじゃないかな。」と言った。
そして、「約束。」と言ってNさんと指切りをした。
しかし、何の約束をしたのか、もう既に忘れてしまった。
「明日、退院前に会える?」と聞くと、Nさんは「うん。」と言ってくれた。

そして、とうとう退院の日が来た。
私は看護師さんと荷物を持って閉鎖病棟の外に出た。
Nさんはそのすぐ外で待っていてくれた。

なんとあっけない別れだっただろうか。
私は「またね!」とひとこと言って、Nさんの前を通り過ぎた。
何故あんなにあっけない別れをしたのだろう。
折角、時間まで待って来てくれたのに。
私はNさんの前を通り過ぎてはっとして振り向き、「ほんとに『また』かな・・・。」と言った。
Nさんは眉間に皺を寄せていた。
これがB病院で最後に見たNさんの表情だった。
私はまた顔を前に戻してすたすたと去って行った。

でもだ。
Nさんは退院の前に言ってくれた。
「手紙を書いてもいいよ。」って。
私はこの上なく嬉しかった。
「その代わり、返事は出来ないけど。」と言われても。
単純に手紙を書けることが嬉しかったからだろうか。
元の病院での別れ間際の面談でNさんが私に話したように、
「きっと心の中でまた会える」と思ったからだろうか。
この別れの時は、ちっとも辛くなかった。




木村弓   「いつも何度でも」
作詞:覚和歌子

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢を見たい

悲しみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたびひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

ラララララララララ・・・・・・・・・
ホホホホルルルル・・・・・・・・

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

悲しみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから


おわり。

心理士Nさんとの再会。3


入院中、同年代の患者さん達と仲良くなった。
私達の先生は女医さんだったので、S.Nちゃんは「除菌が出来-るジョイ」と言って私を笑わせた。
私はそれが気に入って「除菌が出来る人が来たー。」と言って、
S.Nちゃんに「ジョイっ」と何度も言わせた。

作業療法士のAさんは私の元の病院に居たことがあると言っていた。
AさんやNさんと私の元の病院の事を話すと、S.Nちゃんは怖がっていた。
なにせ閉鎖病棟の患者さん達の症状が重く、
保護室には何度も出入りするような人が多かったものだから。

Nさんは閉鎖病棟のホールから見えるナースステーションに毎朝ミーティングで顔を出した。
朝、Nさんの顔を見る度に、「こっちに来てくれるかな」とそわそわしていた。
Nさんはほぼ毎日私の元にやって来て、雑談などをしてくれた。
もうすっかりNさんとは昔のようにため口になっていた。

閉鎖病棟の外に看護師さんと出て、病院の売店に行く時間が1日1回ある。
私は元病院の病棟親友とも言えるエリーにこちらでの無事やNさんの事を報告する手紙を書いていて、
一度Nさんと売店やポストに向かった時には「もう病院にすっかり慣れたねー。」等と笑顔で言っていた。

入院生活の後半、仲良くなった同世代の患者さん3名と部屋が一緒になり、部屋は和気あいあいとしている。
その部屋にもNさんは来てくれて、「賑やかな部屋だねー。」と言った。
部屋はS.Nちゃん、I.Hちゃん、F.Nちゃんと一緒で、
I.Hちゃんは小さな子どものようで、こちらが「よーっ!」と声を掛けると、パンッと手を叩くのがお決まりだった。

F.Nちゃんとは、朝のミーティングでNさんの顔が見えず心配になると、
「今日見かけた?」などと聞いたり、他には学生生活や恋愛話などもしたりした。

S.Nちゃんとはすっかり仲良しで、閉鎖病棟の患者さんや看護師さんの物真似などして、
二人でよくぎゃはぎゃはと笑い愉快過ぎる程だ。
私達二人にしか分からない冗談をNさんの前で話していると、
Nさんはきょろきょろと私達を見て「え?え?分かんない分かんない。」と混乱する様子もあった。

S.Nちゃんは誰にでもため口で話すのだが、白衣を着たPSWさんが部屋へやって来ると、
「ちょっとちょっとお姉さんお姉さん。」とベッドから手招きをしたりしていた。
S.Nちゃんはよく笑いよく泣く人だった。

そして、私はなぜかNさんが居なくても平気に感じる日が多くなり、M先生に退院を申し出た。
以前の私からすると、自らNさんの元を去ろうとするなんて嘘のようだ。
M先生は、「もう退院しても大丈夫だと思います。」と言い、
私は退院日を決めてそれがだんだんと近づいて来るようになった。


つづく

心理士Nさんとの再会。2


B病院に入院した3週間弱の間、私はNさんに昔のように手紙を書いた。

Nさんは確か最初、手紙を受け取らなかったと思う。
怒って手紙を投げて「ちゃんと渡して下さい。」と叱るように言われた事があった。
私はまた不貞腐れていたのを覚えている。
私が怒って顔も向けない事もあった。

「手紙を書いてもいいです。」と真剣な表情で言われ、
私はまだNさんに伝えていなかった事を書き綴り渡した。

「Nさんはわたしのお姉ちゃんなの」と書いたのを思い出す。
私はすっかりNさんの前でまた退行していた。

Nさんとあの頃の私の心境を思い起こさせるこの歌。
私は、この歌の歌詞を削って手紙に書き渡した。
この歌詞を何度も書き綴っては一人涙ぐんだのも思い出す。

I am not alone(ひとりじゃない) - Priscilla Ahn(プリシラ・アーン)

(…略)

『私が自分の世界に閉じこもって
ひとりぼっちでいるように見える?
普通を装っているつもりだけど

みんなとは何かが違うの だから私は隠れてしまう
うまくやっていけたらいいのに
この目でちゃんと世界を見てる
いつも外側からだけど…

だから夜に泣いてしまう
自分の心の中に見つけた何かのために…

きっとまたあなたに会える
忘れないわ 私はひとりじゃない…

ひとりぼっちでいたとしても
ひとりぼっちじゃないとわかっている
あなたのおかげで 私の心は豊かになった…

忘れないわ 私はひとりじゃない』



I am not alone - Priscilla Ahn 投稿者 Cekkov





つづく

心理士Nさんとの再会。1

まだどこにも記していない曖昧な記憶を今の内に一気に記しておこう。

去年、私は心理士Nさんと再会した。
片道約3時間。
私は、彼女の元へ行った。
それはNさんと離れ離れになってから丁度1年後の月だった。

病棟主治医は、心理士Nさんの居る病院へ行きたいと私が何度も訴え、飲んで紹介状を書いてくれた。
そして、Nさんの居るB病院の初診予約も取り、ついに初診日がやって来た。
B病院に向かい私は精神科のM先生の診察を受けた。

B病院の診察室。
M先生は「Nさんは診察室の裏にいますよ。」と言った。
外の待合室で一旦待つように言われ、診察室の廊下の椅子に座った。

待っていると診察室のドアが開き、そこからNさんがあのいつもの「どうぞ」と言うような仕草をした。
まるで妄想の中に居るようだった。

うろ覚えだが、私はNさんを見て「昔みたいね。」と言った。
Nさんは「あれから1年が経ちましたね。」と丁寧語を使った。
どんな表情だったのかは覚えていない。
Nさんは、私が送った封筒を見せて、
「とてもSumiさんらしい手紙でした。」と言った。
「封筒ぐしゃぐしゃー。」なんて私は言いながら、自分の手紙を見返した。
そしてNさんは「ここに入院しませんか。」と言い、
私はもちろん「する。」と言った。

入院初日目、私はB病院の病室のベッドに寝込んでいた。
Nさんは来るのだろうかと心配しながら。
そしてノックが鳴ったのだったか足音がしたのだったか、
それを聞いて私はカーテン越しに「Nさん?」と言った。
「うん。」と聞こえてカーテンを開けると、
Nさんはベッドに横たわる私の元に来てしゃがんで私に話しかけた。

そこで何を話したのかはあまり覚えていない。
Nさんは同じ病室で同い年の患者さんS.Nちゃんに冗談を言ったり、
S.Nちゃんに「Sumiさんと気が合うと思うよ。」と言ったりした。
S.Nちゃんが「さみしいなー。」と呟くと、
Nさんは「ほら、S.Nさんは人を心配している所をみると、さみしくなるんだって。」
なんて事を言って、S.Nちゃんに「ちがうー。」と言われたりしていた。

入院中の事、
Nさんは「こっちに引っ越して来る事も考えてみて。」と言った。
「もう私はNさんのこと諦めたのに?」と言うと、
「ほらAさん(B病院の作業療法士の女性)もきっと手伝ってくれると思うよ。」と言った。

Nさんは閉鎖病棟のホールから見える建物を指さして、「あれがデイケア棟よ。」と言った。
私は内心『到底こっちに引っ越してあのデイケア棟に通える訳がないのに。』と思った。

そんな中、他の患者さんがやって来てNさんと長話になっていたので、
「私、お部屋に帰る。」と言って病室に戻った事も覚えている。
嫉妬だろうか、何だろうか。
何故か私は少し不貞腐れていた。
その後にもNさんは私の部屋に戻って来て話をしてくれたのだった。


つづく

心理士Nさんへの依存と別れ、そして隔離。


小さい頃のトラウマを初めて、そして唯一、打ち明けていた心理士Nさんに私は完全に依存し退行していた。

彼女が居なくなる数週間前、私は歩けない程の目まいとふら付きにより救急車で病院に運ばれた。
私はもう心理士Nさんは病院に居ないものだと思い込んでいた。
目まいとふら付きで吐き気がして、感染症の疑いもあるという事で個室になり、そこで嘔吐した。
(結果、感染症ではなかった。)
点滴を受けながら顏馴染みの副看護師長さんと心理士Nさんが居なくなった事についても会話をする。
「Nさんが居なくなった・・・。」と落胆して話す私に看護副師長さんは「まだ居ると思うよ。」と言った。

私はその時、至極動揺した。
彼女の顔を見ると悲しさや寂しさが更に増すだろうと感じ、決して彼女と顔を合わせまいと思った。
私は焦り始めた。
彼女と顔を合わせる前に病棟を出なければならないと。

昼間の当直医S先生に即日退院する旨を伝えると「保護者に来てもらって話しましょう。」と言う。
私は父に電話をして、その日の内に退院するから早く迎えに来るようにと伝えた。
父は待てども待てどもなかなか来ない。
やって来た時にはもう夕刻になっていた。
話し合いをしようと面談室に入ると、そこには夕刻からの当直医のH医師に代わっていた。
H医師は「土日の退院は止めて下さい。」と言う。
私は「今日退院します。」と聞かなかった。

面談でH医師と父と口論になった。
父は「隔離に入れ」と言う。
H医師も同意書を父に書かせた。
そして、私は誕生日の前後2泊3日を隔離で過ごしたのだった。
私の病棟主治医は翌月曜日にやって来て「どうしてこんな事に・・・。」と言い、隔離が解除になった。
しかしながら、医療保護は解除されなかった。

隔離にいる間、私は精神保健福祉法の書面を要求した。
電話を掛けさせるようにも要求した。
しかし、土日だから公共機関も開いていないので掛けさせられないと頑なに医師は禁じる。
私は国連に電話を掛けようとしていた。
時差があるので、土曜日でもどこかの国連にはその時間帯であれば繋がるはずだ。
高校時代は英語圏に居たので、多少英語での会話は出来る。
しかし結局隔離解除まで、精神保健福祉法についての書面や説明及び通信も閉ざされた。

(これについて、私は医師Hを試そうとしている事がある。
医師Hが土日の当直の時に、私が再度退院を要求した場合どう出るかを試したいのだ。
Yesと言えば何故あの時は隔離に入れたのかと責めるだろう。
Noと言ってまた隔離室に入れたならば国連に訴えよう。
それを入院の時にいつも考えている。)

そして、隔離を解除され病棟外へ出られるようになった時にはもう心理士Nさんは居なくなっていた。
デイケア棟で私はもう一人の別の男性心理士さんと会った。
彼は言った。
「こんな事を言ってはいけないけれど、Nさんは心配していると思います。」と。
私は彼女に「もう大丈夫」という事だけでも伝えたくて仕方がなくなった。

とある日の作業療法での散歩の時だった。
「Nさんは●●の病院に異動になったのよねー。」と聞こえて来たのだ。

彼女は最後に言っていた。
「私のカウンセリングを受けるかはN先生(外来主治医)に聞いてみて。私が言っておくから。」と。
倒れて病院に運ばれる前、私は外来診察の度に外来主治医に彼女から何か聞いていないか尋ねた。
しかし、その度に「何も聞いていない」と外来主治医は言う。
私は本当に彼女が伝言をするのか不安で疑いもし始めていた。

話を医療保護期間中に戻すと、再度デイケア棟へ行った時には作業療法士のKさんが、
「本当にNさんは病院を辞めるはずだったのよ。」と言った。
そして、そのKさんも言った。
「挨拶しようと思っていたけど、私も辞めるのよ。」と。
この年は、私が信頼する病院スタッフの7名もが病院からいっきに居なくなった。

本当に辛い年だった。

かさぶたを剥がしかけた。

ブログ村の「PTSD・トラウマ 」カテゴリーに参加してみた。
自分のブログにも「PTSD・トラウマ 」のカテゴリも作った。

たったこれだけで、具合が悪くなるとは思ってもみなかった。
頓服に頼ろうと思ったけれど、どうにか思考を転換する事で乗り越えた。
やはりあまり思い出さない方良いのだろうか。

小学1年生の時に真っ暗な倉庫の中で何かをされている時、私は殺されていると思っていた。
「殺す」と言われて連れて行かれたからだろう。
これを書きながらまた具合が悪くなってきたけれど、ある程度までは書こう。

それが終わった後、私は自分が生きているのか死んでいるのかよく分からなくなった。
そんな学童期だった。

高校時代、大学時代、男性から部屋に閉じ込められたり、他にもあった。
要求に答えなければ、殺されると思い込んでいた。
誰にも心を開く事の出来ない鬱屈した思春期と青年期。
マンションの自宅から飛び降りようと窓から下を眺める。
でも飛び降りる勇気がなかった。

このトラウマを初めて人に打ち明けた後から症状が悪化したように思う。
また殺されるのではないかと、ベッドの下に包丁を隠して寝るようになった。
逆に殺して欲しいと思うことも何度もあった。
入院したら入院したで、病棟でも怯えていた。

この出来事を思い出す度に死にたいと思う。
心の中で、死ねば思い出して苦しまなくても済むとでも思っているのだろうか。

ダムへ行って飛び降りようと思った事も何度もあった。
自殺企図で警察に止められた事が2度程あった。
死ぬ勇気がない自分を嫌悪して、更に更におかしくなっていった。
妄想も酷く出るようになって、自分でも何が何だか分からない。

病院でも首吊りをしようとした。
樹の枝にタオルを巻いて首を掛けた。
足もとの丸太が揺れて失敗し、首元に赤い跡だけが残りハイネックで隠した。
死ぬことしか考えられない時期だった。

何の役にも立たない世間の足かせでしかない自分が生きている事が、家族にも世間にも申し訳なかった。

こんな私を救ってくれたのは、心理士Nさんや病棟の看護師さん達。
時期も内容も混同してしまっているけれど、とりあえず吐き出しました。

いつか幸せだと思える日が来るはず。
死にたいと思っている人達には、絶対に自殺などせずに生きて欲しいと心から願っています。

性被害を初めて打ち明けた人。

「性被害について。」の記事を書いた後、私はまずこれを書き足す事にした。
悲しい、苦しいを少し通り越した。

この出来事を初めて他人に告白したのは3年前の事。
病院の臨床心理士さんにだった。

彼女は言ってくれた。
「私の妹だったらぼっこぼこにしていたわ!」って。
彼女は心理士らしからぬ程に感情を込めてくれる人だった。

彼女は私の秘密を知っているたった一人の人間で、
私は彼女以外にこの事を話すつもりはなかった。

1年後、彼女は病院を去った。
病院を去ることを彼女の口から聞いて、頭の中が真っ白になった。
彼女の手を握って「行かないで。」と言った後、病室で号泣した。
ナースコールを枕元に付けられる程に。
そして決めたのだ。
もう二度と彼女には会わないと。
心理面談の前に退院するという事も。

私が荷物をまとめて病室を出た時、彼女がこちらへ険しい顔をしてやって来た。
「少し話出来ない?」と眉を寄せて彼女は言った。
私はどうでも良いのか何なのか分からないけれど、ただ頷いて面談室へ行った。

面談室で私は彼女に感情を爆発させた。
「Nさんの嘘つき!」
「Nさん以外には誰にも話さないって言ったでしょ!」
「嫌だ嫌だ!もうNさんは居なくなるのに何を話すっていうの!嫌だ!!」
そして手元にあった映画のパンフレットを彼女に向って投げつけた。

心理師のNさんは言った。
「その『嫌だ嫌だ!』を他の人に言えないでしょ!その『嫌だ嫌だ!』を話すの!」
「私は真剣よ!」って。
「私も真剣!私、もう行かないから、Nさん一人で遊んどいて。」と私が言うと、
「何をして遊ぶって言うの。ちゃんと来て。」と険しい顔で言った。

このエピソードは今でも鮮明に蘇る。
私はこの光景を何度も頭の中で反芻してきた。
彼女と取り交わしたノートは今でも手元に残っている。

彼女が去った後、私はまた何か違う方向に変わっていった。
たった一人、彼女一人にしか話さないと決めていたこの事を自分の内だけに留めているのが苦しくなって、
とうとう、とある男性看護師さんに出来事を綴ったノートを見せた。
彼は寛容にそれを受け止めてくれた。
それが病棟の「パパ」だ。

「パパ」「お姉ちゃん」「お兄さん」。
私は心理士の彼女に対してだけ退行していたのに、
溢れ出す様に他の看護師さんに対しても退行していった。

退院前。

「だって、心配だろっ。」
笑ってプライマリ看護師さんは最後に言った。

彼が去って行こうとすると私は、
「行かないでー!」
と大きな声で言った。

退院間近、私は彼に
「さみしい。」
とべそをかきそうなくらいに伝えた。

彼が最後に去って行った時には後ろから
「ありがとうございましたーっ!」
と叫んだ。

今回も良い入院だったんだ。

性被害について。


人に知られたくない事がある。
誰にも言えない事がある。
だから匿名で記事を書こう。
これを打ちながら動機がしてくる。
一言だけ書こうか。

私が小学1年生の時に見知らぬ男性から倉庫に連れて行かれた事を。

これについて精神療法を受けた事についてはまた書けるだろうか。
退行する事についてもいつか書けるだろうか。





「自分の世話は自分でする」のと「自分で自分をよしよしする」


最近、ネガティブになることが少なくて、こちらに書くことがあまりなくなってしまった。
落ち込んでも、まあそれでも、2日くらい寝込んでしまうけれど、
持ち直すのが以前よりぐんと早くなった。

入院中に病棟主治医からこんな事を言われた。
「ひとのお世話はよく出来るのに、自分の世話ができませんね。」
って。

それ以来、どうやったら出来るのだろうかと考えあぐねていたけれど、解答は出ない。
ただ、ネガティブになった時に、「自分の世話は自分で!」と活を自分で自分に入れる。
そんなふうにしていると、「自分で自分をよしよし」することが出来るようになった気がするのだ。

「自分で自分をよしよし」するというのは、
以前、私の担当だった臨床心理士さんが言っていた言葉だ。
愛着障害の私に教えてくれた言葉だった。
この言葉の解答も得られてはいないけれど、
「自分の世話は自分でする」のと「自分で自分をよしよしする」
といのは似ているのではないかと思う。

これはもう一人の心理士さんが言っていたこと。
子どもが怪我をした時に、「いたいよ、いたいよ。」
と言ってお母さんの所にすぐに泣きつきにいくという話。
これはつまり、「自分の世話は自分でする」のと「自分で自分をよしよしする」
というのが出来ていない事ではないだろうか。

何故だろう、今まで「誰かに励ましてもらいたい」「誰かに心の手当てをして貰いたい」
などと私は思っていたのだろうか。そう考えると、そうかもしれない。
最近はだんだん自分で起き上がれるようになってきているように思う。


追伸:
記事は書いていませんが、お仕事は今のところ順調です。
また退院後の作業所の手続き等は後ほど書けたらと思います。


退院してきました。今回学んだ事など。

入院で度々一緒になる友達がいます。
病棟で話すだけで、退院したら外では会うことはない友達。
病棟でそういう友達と共に生活する濃密な時間は、何事にも代え難いもの。
精神科で出逢って、一緒に過ごす間に心の動きをお互い一緒に観察するのです。

苛々する感情、死にたくなる感情、嫉妬する感情・・・・・。

お互いにどうそのネガティブな感情を攻略するか。
対戦ゲームのようにお互いに問答し合います。
もちろん対戦ゲームなので、自分で攻略法を練らなければなりません。
そして、RPG(ロールプレイングゲーム)のように、
相手のレベルが上がっていくのを見て、
相手が自分自身をコントロールする事が上手くなるのを見て、
自分が持っていない武器や装備、戦法を見て、
段々と嫉妬してゲームを止めるか、
それとも、競い合って自分のレベルを上げていくか。
ここでゲームを放り投げてしまったら、
障害のリハビリを投げ捨ててしまうのと一緒だと考えました。

今回私が退院ぎりぎりになって出した戦法は「待て」。
私の障害は「待て」が苦手。

その時に「待て」を自分に覚えさせ、
コントロールする知恵のキーワードになったのは、
「考えを熟成させる。」
「損得勘定」
「後先をじっくりと考えて行動に移す。」
というもの。

「待て」と言われて待ってくれるのはパブロフくらいかな、犬くらいかな。
私は人間なので、合図ではなく考える事で動くのではないかと考えたのです。
その考えを自分の合図にしてみる。
行動の前に自分なりの考えの合言葉を連呼する。

例えば昨夜、今日が退院日だったのに、どうしても昨日いきなり退院したくなって、
「今から退院します!」とごねました。
その焦燥感があまりにも酷すぎて、そこで先生から言われた言葉は、
「それは社会人としてどうでしょう。」
「抑えるのも課題ですから。」というような事でした。

それでも止まらない「今すぐしたい」病。
閉鎖病棟の中で考えながら、じっと抑えます。
「社会人として?この人手の少ない忙しい時間帯に、迷惑を掛けていいの?」
「抑えるのが課題?課題をどうこなせばいいの?」
「もしここで退院するとごねて譲らなかったら、医療保護に切り替わるかもしれない。
今回はそうならなくても、次回からの入院は医療保護になってしまうかもしれない。
それでもいいの?」
「今から退院したら、現金で一括払いになるのよ。
それに夜間は公共交通機関もまずないから、高くつくのよ。
このお金がない時に、そんな事してもいいの?」

こうやって色々と自分に言い聞かせたのです。
その中で一番効いたのが損得勘定。

私の中では、損得勘定とは悪いイメージしかなかありませんでした。
最も私がイメージし易いのは、人間関係。
人と損得勘定で付き合うのも嫌、そういう人も嫌い。
でも、自分にしか影響がない損得勘定だとどうでしょう。

!!!使える!!!

と何となく感じた昨日から今日。
まとまりがないかもしれないけれど、ここに記しておきます。

入院生活。

4月中旬から体調を壊して、只今、入院中です。
毎年のように同じ時期に入院する友人に、
歌詞を耳コピしては、手紙として渡しています。
その中でも、この曲は閉鎖病棟でiPodを着けた私の耳に特別響く歌。
時々、患者さんが理不尽に扱われているような出来事を見る度に、
この歌の歌詞は、私の心に更に強く響き渡ります。
「××××扱いされた日々」。
はっきりとは聞こえませんが、私の憶測として、耳に止まるフレーズ。
そう、××××扱いされる日々から私はいつ解放されるのだろうかと、
この終わらない歌を聴きながら思うのです。
私もこんな風に歌おう。
「終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため
終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように」


『終わらない歌』
THE BLUE HEARTS

終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため
終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように

世の中に冷たくされて 一人ボッチで泣いた夜
もうだめだと思うことは 今まで何度でもあった
真実の瞬間はいつも 死ぬ程こわいものだから
逃げだしたくなったことは 今まで何度もあった

終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため
終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように

なれあいは好きじゃないから 誤解されてもしょうがない
それでも僕は君のことを いつだって思い出すだろう

終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため
終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように

終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 一人ボッチで泣いた夜
終わらない歌を歌おう××××あつかいされた日々

終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため
終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように




【ブルーハーツはいまも目の前。あきらめるなんて死ぬまでないから/田中 泰延】
ここには、××××の台詞のヒントがあるかもしれません。